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本を読んでいる

「ひとを愛することができない」「エゴイスト入門」等、中島義道の本を立て続けに読んでいる。
「人」を「ひと」と仮名書きにするのは情緒に傾くきらいがあるようであまり好きではないが、中身は恐ろしいほど実も蓋もないことを、それでも誠実かつ突き詰めに突き詰めて書いているものだ。

こういった本を読んでいると、たとえば「そこ」に「愛」がないことを間違ったことのように思う(思わされる)風潮がこの日本にはあるが、本当に、「愛」がないことはそんなに間違っていて悪いことなのかなあ、とつい考えてみたりしてしまうのである。
いくら愛があっても、カンボジアに学校を建てる資金を1円も出せないのではしょうがない。学校を建てるという目的をまず果たそうと思えば、愛のある0円よりは愛のない1億円の方が学校は建つのである。
もっとも、愛のこもった1億円の方がもっといいに決まっているが、それでも目的によっては、愛のある0円は愛のない1億円には勝てない。つまり、目的によって「愛」の存在意義が変わってしまうのだ。(太線の部分、修正済)

なので、むやみやたらに「愛」がこもっていることを連呼する必要はないと思うのだが、虫の声を愛ずるという世界でも稀有な脳を有する日本人は、「愛」が「そこ」にないことをさも罪悪であるかのように扱う。
しかし・・・ねこママは断言するのだが、そこかしこに愛があふれる世界なんてキモチが悪い。

そういう世界を居心地がよくて心楽しいと感ずる人々もいるかも知れないが、尻っぺたが落ち着かない、という人々もまた出現するのである。
そういう人々は、愛も憎しみも嫉妬も羨望も希望も失望もあらゆる感情が渦巻く世界のほうが生きやすい。
だとすると、次元が二つに分かれた世界が出来上がるしかないようにねこママは思うのね。

ええ、ねこママさんが行くところは決まってますが、それがなにか?

by nekotamamako323 | 2011-01-05 11:04 | ひとりごと