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母がいないということで

駅の方へ行くと、いつ見てもY潮駅北口行きのバス停にバスが停まっているのを見る。
バスの本数が多いから当然のことなんだけども、ねこママはなんだか胸がチクンチクンするんです。

ばあちゃんの病院へ行くのにいつも利用していたバスなので、もう乗る必要はないんだ、という気持ちと、乗ればばあちゃんに会えるような気がする、という気持ちがないまぜになり、もうばあちゃんはいないんだという気持ちが一気に押し寄せてきて、たまらない気持ちになる。

このまま乗って病院へ行ってみようか。
病院へ行ってあの病室に行けば、ばあちゃんはいつものようにベッドにいるのではないだろうか。
「おばあちゃん」と声をかければ、いつものように眼をうっすらと開けてくれるのではないだろうか。

などなど、さまざまの思惑でふと涙ぐみそうになってしまう。

心不全を繰り返していたし脳梗塞も起こしていたし、年齢も年齢だしで諦観してはいたのだけれど、いざ失ってみると何かの折に寂しさがひたひたと押し寄せてくる。
中学の頃、津村信夫の「父のゐる庭」という詩を暗唱したことなどを思い出した。今になってみると、父を喪った作者のうつろな寂しさというものがしみじみとわかる。


by nekotamamako323 | 2016-01-05 16:59 | ひとりごと