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今朝の新聞から

今朝の読売新聞「四季」で、平安時代末期の歌人、寂然の歌を紹介していた。

ひぐらしの鳴く片山のならの葉に風うちそよぐ夏のゆふぐれ

今は5月である。
季節的に合わない気もするが、ねこママがちょっと感動したのは、そんな大昔の歌でありながら現代の歌だといっても全く疑いもない、万世不易的な真理が込められているように感じたからだ。

もしかして人類がこの世界からいなくなっても、相変わらずひぐらしは鳴くかもしれないし、片山の楢の葉は風にうちそよぐのかもしれない。と、そういうことを考えたらなんだか諸行無常の感にも陥るし、人間は「無」から来て「無」に還るのだなあ、という気もしてくる。

さて韓国の新大統領、朴氏と同じように実は反日ではないのだそうだ。ただ反日の世論を背中に背負っていかなければならないので、まことにご苦労様なことです。


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by nekotamamako323 | 2017-05-11 11:55 | う~~~~む | Comments(0)

手話について

日本手話と日本語対応手話の違いについて述べた本を読んでいる。というのも、日本手話を使う聾者にこちらの手話が果たして通じているのかどうか、心もとない面があるから。

「明日、ハワイに行くんだ」をねこママが手話で「日本手話ふうに」表す場合、(なに、実際に行くわけではありませんけどね。そんなカネはない)

「明日 ハワイ 行く(飛行機の手話) 私」

だが、小学校低学年で失聴してろう学校に転入したHさんは、

「ハワイ 行く 私 明日」

だという。そこがよくわからない。日付けは最後だとHさんは言うが、なんで???
しかし、小学校低学年時とはいえ中途失聴なので、Hさんの手話も生まれつきのろう者の手話とはまた少し違うらしく、どう違うのかうまく説明しにくいようだ。

また、本では
「北海道なのに暑い!」の場合、対応手話だと

「北海道 なのに(でも・しかし) 暑い」

だが、日本手話だと

「北海道 涼しい よい 暑い」

となり、「よい」が「涼しい」と「暑い」を結ぶ接続詞になるのだそうだ。そこのところがよくわからないというか、感覚的に理解しにくい。
「だから最初っから対応手話でなく日本手話から始めた方が、その後に対応手話にスムーズにいきやすいらしいよ。逆に対応手話から始めてから、日本手話に移行するのは非常に困難なんだって」とK原さんに言うと、「聾者の世界に入らないと(覚えるのは)難しいねえ・・・」という返事。「手話通訳者はどうやって日本手話を身につけるんだろう?」

それはサークルだったり手話講習会だったりするのだろうが(ちなみに手話講習会は通訳士を目指す人のための講習会で、聴覚障害者は対象外)、対応手話を使う難聴者が日本手話を身につける場はなかなかない。

K原さんが通っているサークルは聾者の講師が教えているが、それでも日本手話でなく対応手話になりがちだという。昔ねこママが通っていたサークルもそんなもんだった。一見、手話に慣れない難聴者に聾者が迎合しているような感じもあるが、本当の日本手話を難聴者に教える意味があるのかというとまた違うのかもしれない。

そして、難聴者同士や手話を使う健聴者とのコミュニケーションのためには対応手話だけで十分だし、日本手話を使用する聾者とコミュニケーションをはからなければならないという機会はねこママにはない。
同じ市に住む聾者とのコミュニケーションは日常会話程度ならなんとかなるが、話し込もうとすると話の内容が結局あちらからの一方的な「社会差別論」にいきがちなので、正直「ダミだこりゃ」という感じになるのは否めない。気軽にお喋りしたいというねこママの感覚と合わないのだから、今のところ、日本手話を覚える必要性がないようなものだ。

それでもなんとか日本手話の感覚を掴みたい、という気持ちは、手話を使う難聴者なら誰でも持っているものなのかもしれない。


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by nekotamamako323 | 2017-04-18 08:49 | う~~~~む | Comments(0)

緘黙症のこと

c0077465_12551066.jpg図書館でなにげなく手にとった本。ぱらぱらと立ち読みして、緘黙症という症状に非常に思い当たることがあったので借りてきた。

もちろん、ねこママではないですよ。笑
中学の同級生で、一度も同じクラスになったことはないがあまりにも緘黙なためある意味で有名人だったU子のことだ。

小学校6年生のときに、ねこママたちいくつかの分校の生徒と町の本校の生徒たちが合同で修学旅行をした。
旅館も一緒なので、他の分校や本校の生徒たちとはすぐに仲良くなったが、あるとき、本校の誰だったかが1人の同じ本校の女の子を睨むように見て、ねこママに「あのコ、全然喋らないんだよ!」と囁いた。

「喋れないの?」

「・・・喋れるんだけど・・・喋らないんだよ」

「なんで?」

「わからない」

耳は聞こえているという。

聞こえるのに喋らない。その意味が全くわからぬまま修学旅行は終わり、じきにそのことを忘れた。
中学生になって、そのコの顔を見て思い出したが、クラスが違うので気にしなかった。

一年生の頃はまだ小学校の延長なので、休み時間になるとみんなで体育館に駈けていって、馬乗りだの押しくらまんじゅうだのをやって賑やかに遊んだが、そのコはいつもうつむきながら1人で体育館に行き、1人で壁を背にこわばった表情で何を見るともなくただ黙って立っているのであった。卒業までの3年間、そんな調子だったようだ。

よく見ると目鼻立ちは整っているし、眼は大きくて睫毛も長い。つやつやとした綺麗な髪を当時は誰もやらないおかっぱ風に切りそろえて、(そういえば、髪が長く伸びていた、とかぼさぼさだったとかいうことはなく、定期的にカットをしているようだった)陰で「クレオパトラ」と揶揄されていた。

中三の修学旅行で、クラスは違うがバスが一緒だったので、ねこママはちょっと声を掛けて仲良くなってみようと思い、U子を窓際に座らせてその隣りに自分が座り、いつもねこママとくっついていた親友のK子には申し訳ないが補助椅子に座ってもらった。
そこで外の景色を見ながらいろいろと話しかけてみたのだが、うつむいたまま、ものすごくちっちゃい声で「ええ・・・・」「ええ・・・・」としか言わない。

ねこママはいくらも経たずに仲良くしようと思ったことを後悔し、その後の記憶はないのだが、あとで「だからあのコは無理だってば」とあれこれ言われたように思う。
大昔のことなので、断片的な記憶しかございません。笑
高校生になってから、道でバッタリとU子に会って声を掛けられて少しお喋りした、と友達に聞かされて、天地がひっくり返るほどびっくりしたねこママです。

中学を出て進学せずに富山の紡績工場に就職したという話は聞いていたが、そこで性格が変わったのか???と頭にいくつもの?マークをつけていたら、そうではなくてもともと学校では全く喋らなくて、でも家や学校の外では喋るんだよ、という。
が、学校での様子とあまりに落差があるのでやっぱり違和感はあるらしく、U子を小学校のときから知っているその友達も苦い表情をしていた。

・・・というようなことを、本を読みながらつぎつぎと思い出している。今思うと、U子は「場面緘黙症」というようなものだったのだろう。
今はどうしているんだろう。幸せに暮らしているのかしら・・・。


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by nekotamamako323 | 2017-04-13 13:35 | う~~~~む | Comments(0)

後記

というわけで(なにが?)新宿御苑へ行った話をしたら、ダンナが言うには「見えない人が花見に行ったって花が見えないんじゃ意味ないだろ」と。

なんだと?💢

・・・まあ、おおかたの人の反応なんてそんなもんでしょうけど。

が、例え見えなくても、風を感じ、咲きほこる花々の息吹を感じ、季節の移り変わりを感じとって楽しむ。それは人間としてきわめて重要なことではないですか〜。
むしろ、見えるし聞こえるのに、閉じこもっているばっかりの人生よりははるかにステキなことだと思いますけどね。

ねこママも勉強になってます。
いや、勉強のために参加してるわけではないですけど、ただ学ぶこと多し。


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by nekotamamako323 | 2017-04-07 13:00 | う~~~~む | Comments(0)

Y子のこと

福島に帰りたいという母親に従い、東京の家を長男夫婦に任せて向こうに移住した幼なじみのY子夫婦は、この3月に東京へ戻るはずだった。
Y子の弟の一家が3月いっぱいで東京での生活を切り上げて福島へ戻ることになっていたので、母親を任せてあとはまた東京での暮らしを始めるもの、と思っていたら、「東京の家は長男夫婦が住んでいるので、自分たち夫婦は某県のK市に引っ越す。来月そっちへ移る」と言う。

はあ???

「改めて新婚生活を楽しみます」

うわあ

なんというデラシネ

福島へ移ったときも、「仕事や生活はどうするのか」と言うと「向こうにも働き口はいくらでもあるよ!」と言い、多趣味のご主人に合わせて生活を楽しんでいたが、今度は海がメチャ近い某県のK市ですか。おおかたご主人が海遊びをしたいんじゃないのかね。
地震は非常に多いし、大きな津波が来たらアウトだろうと思われる地域なのだが、どうせ心配したって「心配したってキリがないよ」ぐらいの返事が来るのがオチである。
それに、小学校に上がる前からさんざん一緒に遊んできて、彼女の性格はよくわかっている。だからねこママは余計なことは言わない。

「東京からも近い所だし、遊びに来てね!」という文面に(ちっとも近くないのに彼女の感覚だと近いらしい)と思いつつ、「は〜い、ありがとう、体に気をつけて!」ぐらいの返事しかできないねこママです。


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by nekotamamako323 | 2017-03-25 13:07 | う~~~~む | Comments(0)

考えること

人はその人が自分の命の多寡をあらかじめ言われ、それでいいと納得してこの世に産まれてくるものなのだそうだ。詭弁といえば詭弁のような気もするが、救いといえば救いといえないこともない。
先のスレッドにも書いたように、この世のことはすべて修行だと思えば、気持ちはまた違ってくるように思う。

それにしても東京は広い。なのに人間はなんてちっちゃくて、そのくせなんて大きな生き物なのだろう。

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by nekotamamako323 | 2017-03-18 09:18 | う~~~~む | Comments(0)

今日は真面目

なんだか立て続けにまだそんなお年でもないのに色々な方が亡くなっていく。日頃の不摂生も要因のひとつだとは思うので、一種の職業病かなとも思う。
長く仕事を続けたいと思うなら少しでも自分の体を労って節制すればいいのに、とは思うけど、その人が自分で決めた寿命であるならば死んでいくのはしょうがない。

ねこママ、最近は「この世に生きるということ自体が修行」なんだと考えることが多くなってきた。

ひどくつらいことがあっても修行。嬉しいことや幸せなことも修行。
文句を言うことも修行。何も言わずに耐えることも修行。

そういうふうに考えていくと、死というものは怖れるべきものだという気持ちも薄らいでくるから不思議。
もちろん讃歌すべきものでもないですけどね、もしかしてこの世に生まれ落ちてくること自体が異界に身を置くに等しいことなんじゃないか、とそんなことまで考えたりしている今日のねこママさんです。


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by nekotamamako323 | 2017-03-17 14:49 | う~~~~む | Comments(0)

開発担当者にお願い

京都造形芸術大学でネット受講の募集をしていたので、授業の詳細を見ようと思ってトライアル科目を視聴してみた。その後に、通信教育入学課にメールしたのが以下の文。

「初めまして。
当方、聴覚障害者です。
昔から美術関連に興味があり、ちゃんと学びたくてトライアル科目の授業をのぞかせていただいたのですが、字幕がなくて講師の話が全くわからず断念することにしました。
念のためお伺いしますが、字幕をつけるという予定・構想はおありでしょうか。
以前にも通信教育で受講したくてパンフレットなど送っていただいたのですが、老親の介護があり家を空けられないのでスクーリングが受けられず諦めていました。
なのでネットで受講出来るというので期待していたのですが・・・。ご多忙のところ申し訳ございませんが、お返事を戴けると幸いです」


翌日返信があり、
「動画教材の字幕作成・文字起こしにつきましては現時点では対応が困難な状況です。ご希望に添えず誠に申し訳ございません。いただいたご意見は教材開発の担当者に申し伝えます」
とのこと。

まあこんなもんでしょうね。
あとは開発担当者がなんとかしてくれたらいいな、と。でもって聴覚障害者向けに「字幕もついています」と募集要項にそう記載されるようになってくれたらいい。
こっちは突発的な事故でも起こらない限り、学ぶのにまだまだ時間がありますのでね。笑


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by nekotamamako323 | 2017-03-11 11:17 | う~~~~む | Comments(0)

夕べは豆腐の夢ばっかり見た。おっきい豆腐やらちっちゃい豆腐やら、何をそんなに豆腐ばっかり見る必要があるんだろう、ってなぐらい豆腐が現れてくる。

夢の中で味噌汁に浮かぶちっちゃな豆腐を見て、夢の中でうなされるような思いでいたら、右の足裏をドン、と突かれるような感覚があって二度寝から醒めました。もちろん、闇の中には誰もいない。
ばあちゃんの部屋で寝起きするようになってからは、何度も誰かに足を掴まれたり叩かれたりして眼が覚める。

今日も4時半起床。ダンナを送り出してまた布団にもぐり込んで、見た夢がそんなで起きた理由がそんなでした。
そんなそんな、って自分でも何言ってんだか。苦笑

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by nekotamamako323 | 2017-02-13 14:48 | う~~~~む | Comments(0)

魂とは?

そもそも魂とは何だろう?

と考えることがある。
つくづくと考えて、魂とはその人間そのものの『情報』を指すんじゃないかと思い当たった。そうすると、『情報』が分散されて、各々を受け継ぐ人間が複数産まれてくるというのはあり得る話じゃないだろうか。

なぜそんなことを思うのかというと、美輪明宏という人は昔から自分を天草四郎の生まれ変わりだと言っていることで有名で、それをまた、「秋田の神様」と呼ばれている霊能者がずっと以前のことだが「確かに天草四郎の魂の一部を受け継いでいます」と証言していた。
それで、「一部というのはどういうことか?魂の分割というものがあり得るのだろうか?」と考えることがあった。

考えた結果が、魂=その人物が持つ、「彼というもの」の情報。その情報は「彼」が死んだら電波のように空(くう)に漂い千切れ、やがてまた産まれてきた新しい命たちの中にさりげなく入り込んで、そのものの魂となる。
従って、運が悪けりゃ犬だの猫だのに入り込んでしまうかもしれないし、北のナントカだのシリアだのイラクだので産まれた赤ん坊に入り込むかも知れない。つまりあっちこっちに彼の生まれ変わりが出現して、本人たちはそれと知らぬ間にある者は非業の死を遂げ、ある者はセレブに飼われる幸せなワンコとなり、またある者は空爆によって幼い命を散らすという、そんなことなのかも知れない。

考えるとなんだかおっかなくもあるので考えないことに致します。じゃあこんなややこしいこと書くな。笑


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by nekotamamako323 | 2017-01-31 21:29 | う~~~~む | Comments(0)