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体験記について

今日の読売新聞に沖藤典子氏の
「介護した相手が亡くなった後、しばらくしてから書かれた体験記は信用できない」
というコメントが載っていて、うん、そうそう、と頷いてしまった。

介護の体験記はたくさん出回っているが、今ひとつ心の琴線に触れないのは「ただ今介護真っ最中!」とは違うからである。
相手が亡くなった後であっても、介護の苦痛・心労、相手への恨みつらみそのものをはっきり正直に書いてあるならいいが、苦痛を美化する気持ちが働いて、フィルターがかかったようになっている文が意外と多い。そんな体験記はアホである。
なので、こういうのを読んで、ああ、皆同じように苦しんでいたんだな、と思うことは難しい。

もちろん、介護真っ最中に恨みつらみやら嫌悪感やら、さまざまな事どもを記するのは時間的に難しいですよ。
でも、介護が終了して、すべての思いが時間とともに変質してきつつあるときに、その変質した思いを書き連ねても読まされる方は大迷惑。

自分が介護している相手を「死んでくれ」と思うのはしょうがないし、そう書くことを遠慮していたってしょうがない。そう思うしかない現実を生きているのに、それを隠してきれいごとを言え、という資格は他者にはない。
ねこママも自分の母親を「早く死んでくれ!」と思ったし、ここのブログには書かなかったが、神経がおかしくなるほど追いつめられて、笑うこともなくなった。

介護の体験記を本に書くとするなら、自己満足に終始したいときは噴出する恨みつらみにフィルターをかけた文、現実を伝えたいなら、心理的虐待を受けつつ育ったということから始まって、心不全を繰り返しつつ次第にボケが進んでいく母への憎悪をこめた文、ということになる。
さらに言うなら、長女でありながら「逃げて」ばかりいる姉への悪感情についても書かなければおさまらない。

もちろん、こんな、読む側の胸を悪くするような文は書く気もしないが、時間が経っていろいろなことが美化されてきている文を書くよりはまだマシである。自分の本当の思いを伝えたいなら、変質してきた感情の方を書いても無意味。

ちなみに既存の体験記の中で、一番読む値打ちがなかったのは歌手の三善英史氏のもの。認知症にかかった母上を介護して見送ったという体験記で、一応書籍のかたちを取ってはいるが中身は小冊子レベル。本人の介護の軌跡がさっぱり見えず、内容が空転しているとしか思えなかった。
一回読んで、確か千円ちょっとしたと思うがそのまま資源ゴミに出しました。


by nekotamamako323 | 2015-10-11 12:24 | きっぱり!