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畏怖の念について

いやはや、17の息子が母親を殺したあげく、その首を切断して持ち歩くとは!びっくりしましたね。これって前代未聞のことなのだろうか?

ず~~~っと以前のことだが、ねこママんちの柱時計が止まり、電池が切れたのだろうということで取り替えることになった。ところが当時のねこママんちは和式の生活だったので、踏み台になるような椅子が何もない!
困っていると、突然母が四つんばいになり、「乗って!」と言う。乗れば手が届くから電池を取り替えろと言う。

ええ、ねこママはもんのすごく躊躇いたしました。しょっちゅうケンカばかりしている母ではあるが、その母の体を踏み台にするなんて、倫理として出来んよなあ。

あんまりためらっているもんで、「いいから早く!」と下から怒鳴られるのだが、なんだか畏れのようなものがあって、足をかけるのさえイヤ。バチがあたりそう。
結局、ねこママが断固「イヤだ!」と拒絶して、柱時計はそのままになった。
その後、父がどうやったのか知らぬ間に電池を取り替えて動くようになったが、この「母の首切断事件」のニュースを見て、とっさに思い出したのがこの件なんです。

犯人の少年は自分の母親を殺害し、その首を切断するにあたって、(やってはならないことをやっている)という震えるような畏怖を感じなかったのだろうか?だとしたら・・・・少年の心は壊れている。

ところでねこママのスットコ息子と娘はどうだろうか?ねこママの体を踏み台にすることをためらわないだろうか?
「乗るのはいやだ」と拒絶したら、アンタたちの心は健全だと認めてあげよう。
遠慮なく乗っかりやがったら、その瞬間、マゼラン星雲までぶっ飛ばされることを覚悟しろ。

by nekotamamako323 | 2007-05-16 08:34 | ぎゃんぎゃん★